国宝を観た。いつか観たいと思っていたが三時間という時間に怯んで今日の今日まで観ていなかった。観た感想としては「美しかったな……」という感想が真っ先に出てくる映画だ。あとはもう圧がすごい。ただただ圧倒されてしまう。すごいものを見たなぁ、という感想だ。
内容としては任侠の息子である喜久雄が親を失い、歌舞伎の家に引き取られてから国宝になるまでを描いた物語だ。喜久雄は引き取られた家の一人息子である俊介と共に切磋琢磨して芸を磨いていく、というもの。それらが圧倒的な美と演技によって綴られる様は圧巻だった。とにかく人生を描いているので語られるべきところは多いのだが、それら全てに印象深い美しさがあった。特に最序盤の親が雪の中で死にゆくシーンは印象に残っている。作中では喜久雄が度々雪とも光ともつかないものを思い浮かべるシーンが度々挟まるのだが、彼が最初に取り憑かれた美しさは父親が雪の中で息絶えたシーンなのではないかと私は思っている。
最初の方は喜久雄と俊介の切磋琢磨が描かれていて、さながら青春映画のようだ。喜久雄と恋仲である春江というヒロインめいた女性も含め、修行は厳しくも楽しい日々を送る。だが俊介の父親(喜久雄を引き取った人)が事故に遭い、代役を立てる必要がでてきてしまう。そのときに父親が選んだのは実の息子の俊介ではなく喜久雄だった。喜久雄は見事に演じきるが、それを見た俊介は春江と一緒に失踪してしまう。春江も俊介も、喜久雄の才能に畏怖を抱いたのではないかと思う。
しかし喜久雄も人間なので、舞台の前には震えたり弱音を吐いたりもしている。特に彼は幼少期に父親が俊介にかけた「お前は血が守ってくれる」という言葉を気にしており、舞台に立つ前にはなんの後ろ盾もない不安から「俊の血がほしい。コップにいれてガブガブ飲みたい」とまで言っている。(ちなみに俊介は喜久雄にかけられた「お前には芸がある」というような言葉を気にしている様子)芸に秀でた喜久雄と血に恵まれた俊介という感じだ。俊介は俊介で凄いんだけど。
俊が失踪して八年だっけな……細かいところは忘れたが、俊が戻ってこないので喜久雄は三代目半ニ郎を襲名する。芸への執着は重く、実の娘の前で「芸のためなら何もいらない」と言ってしまうほどだ。
しかし父親が亡くなってしまい、なんの後ろ盾もない喜久雄はセリフのある役すらもらえなくなってしまう。週刊誌にも悪意のある記事を書かれてどんどんと落ちぶれていく。その矢先に失踪していた俊介が帰ってくる。ちゃんと修行をしていた彼は歌舞伎の舞台に返り咲き、彼の時代がくる。喜久雄は歌舞伎の世界にいられなくなり、かつての俊がしたように各地で細々と芸をしていく。
その後呼び戻された喜久雄はかつて二人で世間を賑わせたように俊介と共に舞台に立ち、晩年は人間国宝にすらなる。という感じ。最後の舞台で彼は美しい景色を見る。
それらが圧倒的な演技と美で描かれる。演技も映像の美しさも静謐さも本当にすごい。すごすぎて脳が枯れるんじゃないかと思うくらいエネルギーを使ったなぁという感想が真っ先に出てきたほどだ。それほどにすごい。
喜久雄は歌舞伎の世界を追い出される時、任侠の血が流れていることを週刊誌に書かれて酷く追い詰められた。また俊介は偉大な父親の血と実力が見合わないことに(とはいえ喜久雄が常軌を逸しているだけで俊介もちゃんとすごい)悩む。二人とも血に悩まされ、振り回されていく。特に俊介は血に守られながらも最後には父親と同じ糖尿病で舞台から降りることになった。血の話だなぁ、と思う。
後半の加速度合いもすごかった。喜久雄が代役に選ばれてからが凄いのだが、とりわけ喜久雄が娘の前で「芸のためなら何もいらない」と祈ってから彼は芸以外の様々なものを失っていく。それがとても怖かった。
この映画に出てくる人物に凡人はいないように思う。才能の有無ではなく、本気の人間しかいないという話だ。なので彼らは私にとって遠い人間だったが、彼らの抱える悩みや挫折は他人事ながらに理解できるもので、それが面白かった。遠い世界の話なのに、一瞬だけ自分の世界とカチリとピントがある瞬間があり、物語を捉えることができる。
喜久雄と俊介は隠と陽のような関係だった。片方が華やかな世界にいるとき、もう片方は日陰にいる。その二人がまた同じ舞台に立った瞬間はすごくよかった。
あと三時間もあったこの映画だが、ならどこかを削って時間を短くできるかと言われたら絶対にそんなことはない。三時間の中で無駄な時間が一秒たりともないのだ。すごい密度だった。密度といえば演技に込められた感情の密度もすごかった。
血に守られて、血があったからこそ歌舞伎の世界に帰ってこれた俊介が父親と同じ病に倒れるのは因果だなぁと思う。血は祝いであり呪いだ。ちなみに血にはちゃんと父親も囚われており、家を出た息子など知らないと喜久雄に三代目を襲名させたのに最期に名前を呼んだのは実の息子だった。この父親も芸と血の間で苦しんでいたんだと思う。それでも最期に息子を呼ぶまで選び続けたのが芸だから結構喜久雄(芸への狂気を持っている人間)と似た者同士ではある。
俊介がすごくよかったんだよなー! 彼は喜久雄の才能に潰されそうになりながら(一度は潰されながら)彼を憎んだり疎んだりはしなかったし、ただ実直に『芝居が上手くなりたい』と思い続けて彼は彼の道で芝居を磨いて帰ってきた。ただ血の上に胡座をかいているような人間ではないのだ。彼と喜久雄のやりとりは青春映画さながらで美しく、だからこそ一度道を違えてからまたその道が交わるまでは切ないものだった。
私は歌舞伎を観たことがないのだが、普通では観られない視点(物理的な話)から歌舞伎を観たのは作られた作品内のものとはいえ、いい体験だった。普通は舞台の上からの景色とか、前を向いている役者さんの背中とかは見れないもんね。歌舞伎に詳しい人から見てこの映画の歌舞伎のクオリティがお眼鏡に叶うかはわからないけれど、私は歌舞伎のシーンは全て美しいな、と感じた。
美しいといえば主演のお二人がもうとにかく美しかった。三時間ガッツリと美を浴びた。医食同源なら私も少し綺麗になっててもおかしくないくらい浴びた。
かなり遠い世界のことだったので、教訓があったり、考えされられる系の映画ではないのかもしれない。一応俊の「一度遠ざかってもまたやりなおせる」というエールはあるのだが、あれは血があってのことだしなぁ。あと結構暗い。シーンのひとつひとつは劇的だが、感情の深掘りはない感じ。ここはもう演技力で勝負! と割り切っていたイメージだ。感情の部分を語らずに演技に任せたのは好みだが、如何せん遠い世界のことなので、一部の理解のできた苦悩以外には寄り添えなかったな、と思う。
ちなみに私は配信で観たのだが、私の耳が悪く、セリフは聞き取りにくいところがあったので字幕をつけて観た。あとこの映画には削るべきシーンなど一秒たりともないのだが、しっかり三時間あって疲れるので時間と体力に余裕があるときに観るのがいいと思う。
喜久雄の人生を語るドキュメンタリー的な作品だったが、圧倒的な美しさと演技があってよかった。美しいものを観たい人、圧倒されたい人におすすめの映画だった。