やこの備忘録

感想になりきれないオタクの備忘録です。

『国宝』を観ました。

国宝を観た。いつか観たいと思っていたが三時間という時間に怯んで今日の今日まで観ていなかった。観た感想としては「美しかったな……」という感想が真っ先に出てくる映画だ。あとはもう圧がすごい。ただただ圧倒されてしまう。すごいものを見たなぁ、という感想だ。

 

内容としては任侠の息子である喜久雄が親を失い、歌舞伎の家に引き取られてから国宝になるまでを描いた物語だ。喜久雄は引き取られた家の一人息子である俊介と共に切磋琢磨して芸を磨いていく、というもの。それらが圧倒的な美と演技によって綴られる様は圧巻だった。とにかく人生を描いているので語られるべきところは多いのだが、それら全てに印象深い美しさがあった。特に最序盤の親が雪の中で死にゆくシーンは印象に残っている。作中では喜久雄が度々雪とも光ともつかないものを思い浮かべるシーンが度々挟まるのだが、彼が最初に取り憑かれた美しさは父親が雪の中で息絶えたシーンなのではないかと私は思っている。

最初の方は喜久雄と俊介の切磋琢磨が描かれていて、さながら青春映画のようだ。喜久雄と恋仲である春江というヒロインめいた女性も含め、修行は厳しくも楽しい日々を送る。だが俊介の父親(喜久雄を引き取った人)が事故に遭い、代役を立てる必要がでてきてしまう。そのときに父親が選んだのは実の息子の俊介ではなく喜久雄だった。喜久雄は見事に演じきるが、それを見た俊介は春江と一緒に失踪してしまう。春江も俊介も、喜久雄の才能に畏怖を抱いたのではないかと思う。

しかし喜久雄も人間なので、舞台の前には震えたり弱音を吐いたりもしている。特に彼は幼少期に父親が俊介にかけた「お前は血が守ってくれる」という言葉を気にしており、舞台に立つ前にはなんの後ろ盾もない不安から「俊の血がほしい。コップにいれてガブガブ飲みたい」とまで言っている。(ちなみに俊介は喜久雄にかけられた「お前には芸がある」というような言葉を気にしている様子)芸に秀でた喜久雄と血に恵まれた俊介という感じだ。俊介は俊介で凄いんだけど。

俊が失踪して八年だっけな……細かいところは忘れたが、俊が戻ってこないので喜久雄は三代目半ニ郎を襲名する。芸への執着は重く、実の娘の前で「芸のためなら何もいらない」と言ってしまうほどだ。

しかし父親が亡くなってしまい、なんの後ろ盾もない喜久雄はセリフのある役すらもらえなくなってしまう。週刊誌にも悪意のある記事を書かれてどんどんと落ちぶれていく。その矢先に失踪していた俊介が帰ってくる。ちゃんと修行をしていた彼は歌舞伎の舞台に返り咲き、彼の時代がくる。喜久雄は歌舞伎の世界にいられなくなり、かつての俊がしたように各地で細々と芸をしていく。

その後呼び戻された喜久雄はかつて二人で世間を賑わせたように俊介と共に舞台に立ち、晩年は人間国宝にすらなる。という感じ。最後の舞台で彼は美しい景色を見る。

それらが圧倒的な演技と美で描かれる。演技も映像の美しさも静謐さも本当にすごい。すごすぎて脳が枯れるんじゃないかと思うくらいエネルギーを使ったなぁという感想が真っ先に出てきたほどだ。それほどにすごい。

喜久雄は歌舞伎の世界を追い出される時、任侠の血が流れていることを週刊誌に書かれて酷く追い詰められた。また俊介は偉大な父親の血と実力が見合わないことに(とはいえ喜久雄が常軌を逸しているだけで俊介もちゃんとすごい)悩む。二人とも血に悩まされ、振り回されていく。特に俊介は血に守られながらも最後には父親と同じ糖尿病で舞台から降りることになった。血の話だなぁ、と思う。

後半の加速度合いもすごかった。喜久雄が代役に選ばれてからが凄いのだが、とりわけ喜久雄が娘の前で「芸のためなら何もいらない」と祈ってから彼は芸以外の様々なものを失っていく。それがとても怖かった。

 

この映画に出てくる人物に凡人はいないように思う。才能の有無ではなく、本気の人間しかいないという話だ。なので彼らは私にとって遠い人間だったが、彼らの抱える悩みや挫折は他人事ながらに理解できるもので、それが面白かった。遠い世界の話なのに、一瞬だけ自分の世界とカチリとピントがある瞬間があり、物語を捉えることができる。

喜久雄と俊介は隠と陽のような関係だった。片方が華やかな世界にいるとき、もう片方は日陰にいる。その二人がまた同じ舞台に立った瞬間はすごくよかった。

あと三時間もあったこの映画だが、ならどこかを削って時間を短くできるかと言われたら絶対にそんなことはない。三時間の中で無駄な時間が一秒たりともないのだ。すごい密度だった。密度といえば演技に込められた感情の密度もすごかった。

血に守られて、血があったからこそ歌舞伎の世界に帰ってこれた俊介が父親と同じ病に倒れるのは因果だなぁと思う。血は祝いであり呪いだ。ちなみに血にはちゃんと父親も囚われており、家を出た息子など知らないと喜久雄に三代目を襲名させたのに最期に名前を呼んだのは実の息子だった。この父親も芸と血の間で苦しんでいたんだと思う。それでも最期に息子を呼ぶまで選び続けたのが芸だから結構喜久雄(芸への狂気を持っている人間)と似た者同士ではある。

俊介がすごくよかったんだよなー! 彼は喜久雄の才能に潰されそうになりながら(一度は潰されながら)彼を憎んだり疎んだりはしなかったし、ただ実直に『芝居が上手くなりたい』と思い続けて彼は彼の道で芝居を磨いて帰ってきた。ただ血の上に胡座をかいているような人間ではないのだ。彼と喜久雄のやりとりは青春映画さながらで美しく、だからこそ一度道を違えてからまたその道が交わるまでは切ないものだった。

私は歌舞伎を観たことがないのだが、普通では観られない視点(物理的な話)から歌舞伎を観たのは作られた作品内のものとはいえ、いい体験だった。普通は舞台の上からの景色とか、前を向いている役者さんの背中とかは見れないもんね。歌舞伎に詳しい人から見てこの映画の歌舞伎のクオリティがお眼鏡に叶うかはわからないけれど、私は歌舞伎のシーンは全て美しいな、と感じた。

美しいといえば主演のお二人がもうとにかく美しかった。三時間ガッツリと美を浴びた。医食同源なら私も少し綺麗になっててもおかしくないくらい浴びた。

 

かなり遠い世界のことだったので、教訓があったり、考えされられる系の映画ではないのかもしれない。一応俊の「一度遠ざかってもまたやりなおせる」というエールはあるのだが、あれは血があってのことだしなぁ。あと結構暗い。シーンのひとつひとつは劇的だが、感情の深掘りはない感じ。ここはもう演技力で勝負! と割り切っていたイメージだ。感情の部分を語らずに演技に任せたのは好みだが、如何せん遠い世界のことなので、一部の理解のできた苦悩以外には寄り添えなかったな、と思う。

ちなみに私は配信で観たのだが、私の耳が悪く、セリフは聞き取りにくいところがあったので字幕をつけて観た。あとこの映画には削るべきシーンなど一秒たりともないのだが、しっかり三時間あって疲れるので時間と体力に余裕があるときに観るのがいいと思う。

喜久雄の人生を語るドキュメンタリー的な作品だったが、圧倒的な美しさと演技があってよかった。美しいものを観たい人、圧倒されたい人におすすめの映画だった。

『サンキュー、チャック』を観ました。

サンキュー、チャックを観た。友人におすすめされて観たのだが、私はなんの情報も入れずにコンテンツを楽しむのが好きなので本当になにも知らない状態で観た。公式HPすら見ていない。そんな状態で観たのだが、いい映画だった。終わった瞬間は情報を整理する時間というか、「な、難解……?」となるのだが、振り返っていくとじわじわと良さがわかる、いい映画だった。ちなみに原作があるが、私は未読だ。

サンキュー、チャックは構成が面白くて、この映画を語るとなるとネタバレが避けられない。しかしこの映画は絶対にネタバレを見ない方が楽しめるので、もう観た人か、一生観るつもりのない人にだけこのブログを読んでほしいと思っている。お願いします。

 

以下、ネタバレ

 

 

サンキュー、チャックは三章から成る映画なのだが、いきなり「第三章」から始まる構成だ。そこから「第二章」「第一章」と遡っていく。三章で描かれるのは世界の終焉で、三章の主人公は小学校の教師である。

世界では14ヶ月で様々な災害が巻き起こり世界は壊滅状態であることがニュースや会話からわかる。最近では災害での怪我人よりも自殺者のほうが多いくらいだと看護師は嘆いている。そしてその日はついにインターネットすら止まってしまう。インフラがどんどんとダメになる。

そんな中、小学校教論に元妻から連絡が入る。二人は何気ない世間話の後に、宇宙カレンダーの話をする。宇宙の誕生から現代までを一年のカレンダーにしたときに、人類の営みは最後の10秒ですべて完結してしまう、という話だ。その話をした翌日か数日後かは覚えてないのだが、小学校教論である(第三章の)主人公は元妻に会いにいく。

と、ここまでは普通の終末ものだと思う。終末ものに詳しくないのでわからないが、世界が終わるその時にかつて愛した、今も愛している元配偶者に会いにいくというのはかなりグッとくる。のだが、ここで奇妙なことが起きている。それは世界が終わりに近づくに従って、街には「チャック、39年ありがとう!」という、チャックに感謝する広告が溢れていくということだ。彼は街頭広告やTVCM、果てはスカイライティングでその生涯を感謝される。なにがすごいって、全てのインフラが止まって電気すらなくなった街に、超常現象としか思えないチャックの広告が浮かぶのだ。それはもう、ホラーなんよ。そんな感じで終末と共に「チャックとは一体何者なのだ」というミステリ要素が張られていくわけだ。

第三章では世界は滅ぶ。最後の夜に主人公と元妻は一緒に夜空を見上げ星の名前を言い合うのだが、その星々すら爆発していく。そしてラスト、主人公が「愛してる」と言ったところで暗転。世界の終わりが示唆される。

のだが、ここで全然知らない男が臨終するカットが挟まる。こうして第三章(実質第一章)が終わる。

 

第二章では主人公がチャックに変わる。先ほどの章で広告になっていた彼だ。ナレーションを交えて進む第二章ではチャックがストリートパフォーマンスのドラムに合わせて踊るシーンが描かれる。そしてナレーションはその日を最高の日だと評するのだ。細かい表現は覚えていないのだが、この時のために神様は世界を作った! くらいのことを言う。チャックは会計士で、妻子に恵まれ、重要な仕事にもついていることがわかるのだが、そんな彼の最良の日がなぜこの日なのだろう。

 

それがわかるのが第一章(この映画での第三章)だ。第一章はチャックの幼少期の話が語られる。

そこで彼がダンスが好きだったこと、人の中には宇宙があること、チャックは自分の死期を悟っていたことが一気に語られる。早い話、一番最初に流れた第三章はチャックの死により、チャックの内包していた宇宙が崩壊することを映像化していたわけだ。なのでチャックが一度目にしたことのある人が彼の世界にいる。第一章や第二章で映っていた人は、よくよく思い返すと三章の世界にいるのだ。(三章の主人公であった小学校教論も、チャックが通っていた小学校の教師だ)なのでここまででこの映画の構成を理解した時は、もう一度三章を見せてくれ! となった。たぶん気づきがたくさんあるだろう。

また幼少期からダンスが好きだったこと(ざっくりと事実だけを書いたが、ここの理由もかなり良い)、ダンスパーティで踊ったことが生涯の思い出と自信になっていること、その経験から自分は生きる価値のある素晴らしい人間だ、という自己肯定感が芽生えていることも語られる。

人の中には宇宙が内包されている、というのは私の解釈で、語られたのはウォルト・ホイットマンの「Song of Myself」という詩だ。(これは今ググったので違ってたらごめん)そこで『自分の中には多くの人々がいる』というような趣旨が語られる。一度出会った人間、絆を結んだ人間、見かけただけの人間も、自分の中に存在していくのだと。そうして、様々知って人は世界を広げていく。というように私は解釈している。この世界が『第三章』というわけだ。

自分の死期を悟るくだりはちょっとファンタジーだった。死にゆく人が見える部屋があり、そこでチャックは若くして死ぬ自分を見る。そこで映画が終わる。

 

観終わった後、なんかすごいものをみたなぁ、と思った。三章の謎はしっかり語られるからわかりやすいとして、この物語をどう咀嚼していいのかと自分の中で折り合いのようなものをつけるのに時間を要した。でも思い出してみるとかなり面白いな、となる。

世界の崩壊はそのまま、死に向かうチャックの肉体と精神を表していくのだろう。徐々に失われるインフラは身体機能の低下や停止だし、インターネットの断絶はもう他人との会話ができないという意味だろうか。このあたりは素直に面白いな、と思った。未だに解釈を捏ねているのだが、『チャックありがとう』の広告は誰が出しているのだろうか。死期を悟りながらも腐らずに生きた自分への賛辞の気もするし、今際の際に家族がかけている声かもしれない。私は今までチャックが言われてきた「ありがとう」が形になったものだったらいいなぁ、と思っている。このあたりは好きに解釈していいんじゃないかな。

人それぞれに存在する世界についても良いな、と思う。チャックが見てきた人が彼の世界に内包されていくように、私の世界にも今チャックがいる。映画を見た人全員の中にチャックがいる。互いに相手を世界に内包していくというのは、平等だと思う。立場や力関係などで人と人が必ずしも平等であれるとは限らないが、世界に組み込むという行為は貴賤なく上下もなく平等だ。なんか精神論とか心理学とか探したら近しいものが出るのだろうか。なんとなく哲学的だなぁと思う。

第三章でチャックはダンサーになりたかったような描写があるが、チャックは会計士としての人生を選んだ。だからこそ第二章のあのダンスが踊れたのだと思う。ストリートパフォーマンスに合わせて踊るなんて、運命だ。チャックはダンサーを目指して夢を追うことはなかったけれど、彼の経験は彼の中にちゃんとある。夢は離れても人生に影響しているというか、劇的でなくても人生と繋がっている。夢の断片はいつでも自分の中にあって、人生を輝かせてくれるんだ。やってきたことは全て無駄にならない。積み上げてきたものが解放されたあの瞬間が彼の最高の日だった。この部分がすごく好きというか、夢との距離感として刺さった。これは大人に刺さる系なんじゃないかな。多くの人が夢を諦めてきたと思うが、夢を見た経験は消えない。ここがすごく前向きというか、全てを抱きしめて進んでいく感じがしてグッときた。

人からしたら幼少期の些細な思い出でも、かけがえのない経験は人生の大きな糧になる。一生物の自信になるし、肯定に繋がる。私はきっとあの幼少期のダンスパーティでチャックの宇宙の大元が形成されたのではないかと思っている。

あ、話すのを忘れたが、二章と三章(つまりチャック視点の出来事)で語られた内容や見たものが第三章(チャックの中の世界)に反映されてて面白かった。街の風景でほんの一瞬通り過ぎたスケート少女とかがでてくる。だから巻き戻してもっかい三章が見たい……。

チャックは自分の死期を悟っていて、それでも懸命に生きたというのもいいなぁと思う。人はそれこそいつ死ぬかなんてわからないが、(作中でも語られるが)死期を知り、それを待つ時が一番キツいと思う。それでも腐らずに生きたのはすごい。そこは第三章との対比なのかな、とも思う。死期を知っていたチャックと、何も知らないまま突然世界が終わる三章という世界の対比。チャックには自殺するという選択肢もあっただろうに、その日まで懸命に、それこそリミットがあるならはっちゃけても良さそうなのに堅実に生きていくというのはすごい。彼は劇的なことは何一つしなかったけれど、あの日は街角で踊り、きっと誰かの世界に内包された。(今は動画の拡散もあるから、チャックは想像以上の人の世界に住んでいるのかもしれない)

宇宙カレンダーの話も面白かった。人類史は宇宙を12か月365日に収めたら最後の10秒で完結してしまうというものだが、あの第三章の世界もチャックが死ぬ最期の10秒間に生まれた世界なのかな、とか考えたりもした。

 

とまぁ、人間と、夢と、自己肯定と、と私はわりと人間讃歌のヒューマンドラマという印象を受けたのだが、こうやってしみじみを感想を書いていると、ちょっと怖いSFという見方もできるなー……と思った。世界には無数の宇宙があり、今もまた新しく生まれ、どこかで膨張し、どこかでは消えていく。なんかちょっと膨大すぎてこわい。あと胡蝶の夢、というわけじゃないけれど、私が誰かの脳内の人間ではないという保証はどこにもないんだなぁ……というのもちょいこわポイントかもしれない。第三章の登場人物は自分が脳内の人間だなんてつゆほども思っていない。私の世界もいつかあっという間に終わりがくるのかもしれない。また我々はコロナ禍や災害なども経験しているため、すべてが終わることへの恐怖というのもあった。あと普通に終末世界でガンガン広告を打たれて感謝されるチャックも正体を知るまでこわいし……。なんというか、全て観終わったあとに様々を思う映画だなぁと思った。観てよかったなぁ〜。好きな人は好き! な映画だと思う。私はいろんな人に見てほしいなって思った。なんかね、みんなに「超おすすめ! 見て!」というよりは「絶対に刺さる人がいる。その人に届いてほしい」という、祈りのような布教をしてしまう。友人よありがとう。いい映画でした。

『三十四丁目の奇蹟』を観ました。

三十四丁目の奇蹟を観た。好きなゲームの元ネタだと言われているからだ。前情報として『自らをサンタと信じる男が事件を起こす』と書いてあったので、なんとなくヤバい男の話なのか、ドタバタのコメディなのかと思っていた。観てみたらユーモアの効いた心温まる話で非常によかった。『サンタクロースと子供』『信じる心』という普遍的なテーマを扱っているからか(作中の時代は古いが)価値観が極端に古いとは思わなかった。子供の夢を大切にする大人の優しい話で、大好きな映画になった。

サンタ役として雇った老人(クリス)は自らをサンタと思い込んでいる男だった! のだが、彼の振る舞いは非常に真摯的でユーモアがあり、誰にでも優しくとりわけ子供にとても優しい。実直で、雇い先のおもちゃ屋よりもいいものを売っている店があったらそちらを紹介してしまったりもするのだが、その真摯さが顧客に好評で売り上げが伸びて社長に認められる、など、彼の振る舞いは色々な人に認められていく。彼はずっと一貫しており、彼を取り巻く環境や関わった人が変わっていく系の話だ。

彼を雇った女性(ドリス)は「子供に嘘は教えたくない」という教育方針で、娘にもサンタはいない、お伽話は嘘、という教育をしている。なので娘(スーザン)もサンタを信じていないのだが、老人と会話をするうちにサンタを信じたくなっていく。この母娘の変化はこの映画の見所だろう。ちなみにドリスはシングルマザーだが、フレッドという男性と好意を寄せ合っていて、スーザンもフレッドに懐いている。お互いにあと一歩勇気を出せば……という雰囲気。フレッドはサンタを嘘だと教える教育方針には反対で、自らをサンタと名乗るクリスの味方をしてくれる。なので仕事に通うのが大変だというクリスとルームシェアをしてくれるし、後述する裁判でクリスの弁護もしてくれる。

クリスは職場で仲良くなった青年が、社の専属カウンセラーに精神障害だと言われて悩んでいるのを見て、そのカウンセラーに抗議をしに行き、そこでカウンセラーを杖で叩いてしまう。(ちなみにこのカウンセラーは資格もなく適当にやっているようなので、100カウンセラーが悪い。作中に出てくる悪いやつはコイツくらいだ。)もともとクリスを嫌っていたカウンセラーはそれを利用してクリスを精神病棟に入れてしまうのだが、それを深く悲しんだドリスとスーザンを見たクリスが彼の弁護を申し出る。カウンセラーの嘘でドリスに異常だと思われたと意気消沈していたクリスを励まして、フレッドは裁判へと挑む。

裁判の論点は『クリスの精神状態は正常か』だ。彼は自分をサンタだと言い張っているので、彼を正常だとするなら『サンタはいるのか、いないのか』が論点となっていく。クリスをサンタだと証明しなければならないのだ。

この裁判はかなりの人間の関心を集める。クリスマス商戦に乗っかる全ての企業はサンタがいないなんて言われたら大打撃なので、その企業や企業の支援を受けている政治家はサンタがいないだなんて言われたらたまらない。しかし裁判に関わる人だって遊びでやっているわけがないのだから勝たねばならなくて……。サンタはいるか、いないのか。という素朴な論争に様々な大人の思惑が絡んでくるが、裁判そのものは見守るしかできない状況だ。ちなみに世論はかなりクリスの味方だが、状況はクリスには不利だった。そんな中、スーザンは『サンタ』に向けて手紙を書く。あなたがサンタだと信じている、という手紙を書くのだ。その手紙にドリスは「私も信じています」と自らも署名をする。ドリスはそれまでのやりとりで考えを改めているからだ。サンタの有無ではなく、信じる気持ちの大切さを理解している。その手紙は裁判中のクリスの元に届く。そして、判決が出る。

 

作品のメッセージとしては『信じる気持ちが大切』なんだと思う。この普遍的なメッセージを今はもう信じることを忘れてしまったサンタクロースから受け取れる。沁みる作品だ。あとカウンセラー以外にムカつく人間がいないので気分よく見れる。裁判で対立している人も仕事でやっているだけなので、本当に降りたい……と思っているから、おつかれさまです……という気持ちになる。ただ露悪的な人間がいないだけで、判決やそれまでの世論も素直にサンタを信じたい人間、サンタがいることにしたい大人、ガッツリ利益が絡んでる人、など、ただ純粋な気持ちだけが絡んでいるわけではないのが好みだった。判事なんかも仕事でやっているから夢を壊したいわけじゃなくて、裁判が終わったら子供へのプレゼントを買いに行ったりするし、なんかそういうのいいなぁと思った。全員で守ってる夢だから。さらっと見れるし、ユーモアもあるし、劇的なシーンはなくてもじわっと泣けてくるいい映画だった。あとセクシーシーンがないのも、ガッツリとした恋愛要素がないのもよかった。

ちなみに判決が出た後に一悶着あって、スーザンが「やっぱりクリスは本物のサンタじゃなかったんだ」と思うくだりがあるのだが、その時にドリスが『思い通りにいかなくても、相手を信じることが大切』だと教えるのだがそれも良かった。ドリスの考えがそういう柔らかい方向に変わっていくところがよかった。

なおこの作品にはリメイクがあり、そちらは『34丁目の奇跡』という1994年の映画らしい。私が観たのは原作の『三十四丁目の奇蹟』で1947年の映画だった。長く愛されている作品なのだなぁと思う。白黒の映画を久しぶりに観たが雰囲気が素晴らしい。この作品にぴったりだった。

この映画は裁判の最後の一手がご都合主義と言って終えばそうだが、そういうところも含めて『奇蹟』でいいじゃないか、と思う。あの判決はとてもよかった。リメイク版だと判決の決め手や細部が違うらしいので、そちらも観てみたい。

舞台『甘くはないぜ!2』を観ました。

舞台『甘くはないぜ!2』を観た。友人からDVDを借りて観たのだが、想像以上に面白くてビックリしてしまった。知らない劇団だったので「どれ……お手並み拝見」くらいの気持ちで観たのだが、面白かった。いきなり2を観ているし内容をしっかり理解できた気がしないのだが、感想を書く。

 

『友人の推しが出る』くらいの情報で観たのだが、面白かった。開始5分で好き嫌いが分かれる感じだったが、とにかくギャグに振り切れている感じで潔い。まず出だしからなんの説明もなく面白いのだが、その面白さがなんか、変だ。世界観の説明もなしに、いきなり麩菓子を武器とする軍人たちに麩菓子でシバかれている青年。軍曹の格好は変だし、やりとりは二回に一回くらいギャグが挟まり、すごい。怒涛だ。世界観も掴み切れている気がしないのだが、お菓子の王国で国家転覆を狙う軍人が新たな王を擁して国を乗っ取ろうとしている。その国に主人公の弟が潜入したが捕えられてしまい、麩菓子で叩かれる。なんで? めちゃくちゃすぎる。

弟くんが麩菓子による拷問を受けていると、反対勢力のゲリラ軍が突入してきて、お菓子バトルになる。なんで? 麩菓子で殴ったり、パイ投げの要領でプリン皿を顔面にぶつけてノックアウトしたりとしていて、なんかもう記憶が混濁してないか不安なんだけど本当にしてたんです! 信じて! あとお菓子バトルで鳴るはずのない音が鳴ってたのも面白かった。もう全部面白かったんだけど、合わない人は本当に合わないだろうな……。私は「ゲリラ!? 違う! ゴリラだ!」のネタのためだけに現れたゴリラの首元からガッツリ人間の皮膚が出てた時点で神舞台だと確信したんですけど、これが無理な人はもうずっと無理だと思う。なんかライバルポジションのパテシィエはサイボーグパテシィエだし……。ネタもメタというか、劇中の人間が現実の人間として振る舞うことがちょくちょくあるし(ここ後にうまく作用するので後述します)、距離もノリも近い。舞台装置もあるものを上手く使っていく感じのミニマルなもので、私がイメージする『小劇場』ド真ん中で、この温度感が大好きすぎる……としみじみしてしまった。ほんと、私は笑いのツボがヒットしたから本当に毎秒面白くてすごい。脚本の「ますもとたくや」さん、覚えました。

 

内容は国家とゲリラの対決を描きつつ、弟を人質に取られた主人公を乗せて、主人公とライバル(ここ二人がW主人公っぽい)の対決で完成。という感じで、なんとなく王道なのに全部様子がおかしいからすごい。なんかライブシーン挟まるし。みんな大好きタイトル回収も途中にありえないゆるさで回収されるし、設定が変だからパワーワードも出てくる。『国境なき菓子団』とか一生のうちで一度も思い付かない単語すぎる。でも主人公のやさぐれが緩和されたり、王子が人間的な成長を見せたり、ライバルと和解したりと王道を押さえてるんだよな……。でも毎秒ボケないと故郷の村にある祠でも壊されるんか!? ってくらいボケる。もしかして大阪の方?(偏見)

小劇場のノリと言ったけど、例えば「今日はこの人の彼女がきてます!」とか「俳優さんの兄弟ネタ」とか、そんな感じで俳優さんのネタが出たとか、露骨にカンペを読んだりとか、回想のムービーで思いっきり噛んでるのに撮り直しをしないでそれにツッコミを入れるとか、なんだろう……急に劇中の人間のレイヤーがこちらの観測世界に寄ってくるというか……劇中の人間がこちら側にやってくるというか。でも、これがかなり面白く作用してくる。

というのも、私は知らなかったのだが、主人公とライバルの勝敗が、なんと観客全員の投票で決まる。すごくないですか? 今までは劇中の人間がちょくちょくこちらの世界に顔を出していたのに、ここにきて急に観客が劇中に引き摺り込まれる。この構成ってすごい。観客を巻き込んでくる舞台は観たことがあるけれど、ここまでに境界を越えてこっちを見ているようなネタを連発していた彼らが急にこちらの腕を引っ張ってくる。これが私にはかなりよかった。

投票で勝敗が決まると言ったが、ヘイトコントロールと好感度稼ぎのバランスが上手いので、どちらが勝ってもいいな、と思えたのもよかった。私が観た回、つまり映像が収録された回はライバルが買ったのだが、クール系キャラクターの彼がニッコニコの笑顔になるのも、現実とフィクションの境界で笑いを取るタイプのこの舞台にはあっていたと思う。

私は絶望系やシリアスよりもコメディの方が良作に出会えた時に興奮するのだが、これは観れてよかった舞台だった。エンタメとして、うまくやっているな……と思う。きっと俳優そのものを推していく感じのもあるんだろうけど、私は演者さんのことを全くわからない状態で観たけど面白かった。でも何回か「顔がいいな……」とは言った。あと二次元みたいな人がいた。

 

総じて、面白い舞台だった!実は3も借りているので楽しみすぎる。

 

追記・友達に伝えようと思ってたまにツッコミどころをメモしていたのだが、抜粋する。

「初手から意味わからんけどオモロ」「葉巻の代わりに麩菓子持ってるの面白すぎてヤバい」「お菓子バトルで鳴るわけのない音がする」「ゴリラ首見えててヤバい」「サイボーグパテシィエ?」「兄貴のツラが好き」「オタクのために生まれたみたいなビジュのヤクザ出てきた」「キャスパレだ!」「ビスコッティ二次元すぎるけど細すぎる。飯食え」「こんなタイトル回収ある?」「国境なき菓子団???」「ポップコーン増えてるの面白すぎる」「彼女がいます!フゥーッ!←これ良すぎる」「ショータイム手前のバシン!(デカい音)オモロ」「アロエ面白すぎて思わず巻き戻した」「王子ひたむきでいいやつだな」「あり得ない深読みをすると、これってパンとサーカスの話か? んなわけない」「おひろめドーナツの時にサイボーグの泡立て器がフォークになってて腹筋ダメになった」「え!?投票??」「すご」「勝ってニッコニコなの可愛すぎる」「ドーナツの輪のように……とかいくらでもそれっぽい路線に持っていけるのになんかヤバいドーナツになってるの、エンタメすぎる」

『エブリシングエブリウェアオールアットワンス』を観ました。

エブリシングエブリウェアオールアットワンスを観た。SNSでおすすめされた映画だ。自分で探した映画ではないので「下ネタがある」くらいの知識で観たのだが面白かった。映像的にも見所が多かったし、何よりパワーがあった。繊細な絆に対して真っ向からぶつかるパワーは見ていて気持ちよい。こういう勢いのある物語が好きだ。(前半にイテテテテ!!!になるシーンはあった)

内容としては並行世界系だが、本質はヒューマンドラマのように思える。主人公の、どちらかと言えば人生につっかえている女性が夫や娘や関わりのある人への向き合い方が変化していく話。並行世界を経験することで彼女自身の考えや感情も変化していく、その変化がよい。ちなみに何故並行世界を体験しなければならないのかというと『全宇宙の危機に立ち向かうために並行世界の自分の能力を引っ張ってきましょう!』というかなりアグレッシブな理由で主人公は自分に起こり得た可能性を覗き見ることになる。夫と出会わない世界、脚光を浴びて自分が何者かに成れている世界、そして(なぜか指がソーセージになっちゃってるけど)険悪なIRSの職員の女性と恋人である世界、など。主人公の悩みの一つに『娘にガールフレンドがいる』というものがあり彼女は同性愛をまだ受け入れられないのだが、メチャクチャな世界では同棲であるIRS職員と平和に暮らしているのがなんだかよかった。他にもかなりメチャクチャな世界で色々なことが起きるが、方向性は一緒というか、現実(元の彼女の世界)軸でいいことが起きてると良い感じになったりする表現が結構があった。逆も然り。『こういう状況で幸せにベクトルが傾く』と前提によってこういう変化が起きるんだな〜という感じで面白かった。

並行世界はかなり多くて、そこまでジャンプしてジャックするって感じだったのだが、そのジャンプ台となるのが『突拍子のない行動』だったのが面白かった。他にもコメディ的なシーンが多く、観ていて息が詰まらない。たっぷりとアクションシーンがあるのもかなりよかった。世界の切り替わりもあり、観ていてダレない。アクションシーンの時に並行世界の能力を借りてくるので、アクションに幅があってよかった。

主人公の女性は人生につっかえていると言ったが、それなりに本人にも問題はありそうな感じで物語はスタートする。余裕がなく、他人に優しくない主人公。そんな主人公がたくさんの世界を経験して、そこで誰よりも優しい夫の在り方を素敵なことだと感じ、自分も優しくなって様々なものを解きほぐしていくのがよかった。

 

下にすっごいネタバレ

 

全宇宙を危機に晒す存在は並行世界の実の娘だ。身内が悪役に! というのは鉄板のように思えるが、彼女が向き合うべきだったのは娘だったので、この流れは必然のように思う。彼女も並行世界を経験しており、ラスボスに相応しく全ての可能性を網羅している。いろんな可能性を操って、いろんな服装といろんな戦闘方法で現れるのはとてもチャーミングだった。並行世界では『生物が発生しなかった可能性』として岩としての人生(人ではない)も経験するのだが、その世界線に母である主人公が現れたときの彼女の言葉はなんだが心を吐露しているようでよかった。岩のシーンは全部よかったな……母岩が娘岩を追いかけて落下するシーンは泣いてしまった。

色々な世界を体験した主人公は色々な人間関係を一つ一つ解きほぐしていく。それは夫の献身にも近い愛情、そして優しさが伝播した結果なんだと思うと、この夫婦が出会ってくれて本当によかったな……となる。夫は一度離婚を打診してくるんだけど、それは自分の話を聞かなくなった妻との関係の再構築を望んだ故であり、この人は優しいし話し合いを諦めない人なんだな……と感心した。結局この人が一番強かったな。武力ではなく、心の芯の部分が強かった。

 

いい映画だった。いろいろなことが起きるが、メッセージはシンプルなんじゃないかと思う。『人には優しくしよう』と『ちゃんと話しあおう』と『相手にも感情と都合ある』ということを考えた。

並行世界へのジャンプの条件として『突拍子もない行動』があるのだが、最初並行世界の意識に乗っ取られてIRS職員が襲ってくるシーンがある。その時に突拍子もないこととして『IRS職員に愛の告白をする』とあったのだが、終盤で優しくなった彼女は再び襲ってきたIRSを肯定して受け入れる。それは愛の言葉のようにも聞こえた。伏線回収ではないが、こういう流れがあったのがよかったなー。並行世界の彼女も含めてよかった。

中盤のエンジンかかってきたあたりからの勢いがすごい。それに前半の雰囲気がいい感じに作用していてよかった。世界が多いのでボリュームはあったが、終始主人公視点で物語が進むのであまり混乱はしなかったかも。世界を何度も切り替えて表現しているのにわかりやすいのはすごいな、と思う。途中に虚偽のエンドロールが流れる(ここも本編にちゃんと繋がっている)のだが、普通にビックリした。いろんな手法で魅せてくれて飽きない映画で、良かった。

『モノノ怪-火鼠-』を観ました。

モノノ怪-火鼠-』を観てきた。気になってはいたが腰が重く、結局公開終了日に滑り込みで観てきた。結論を言うと。劇場に行った甲斐があった。

この映画は以前この備忘録に書いた『モノノ怪-唐傘-』の続編であり、三部作の二作目である。続編ではあるがモノノ怪は基本的に各話完結なので、この映画も単独でも観ることが出来る。前作がかなりうろ覚えだったが、問題なく観ることができた。

 

前回の感想でも書いたが、特徴的な和紙のテクスチャと色使いが鮮やかで終始見惚れてしまう。それでいて主題歌は現在的なラップで、それが歌舞伎のような演出とも相まって独自性を色濃く出している。特にシーン転換の演出が派手でオススメだ。

舞台が大奥であることもあり、内容は人間の色恋と情欲、そして権力争いでドロドロとしている。しかし怪異という明確な悪役があり、その悪役を主人公である薬売りが切り捨てる、という流れになっており、活劇らしさも出ていてバランスが良い。怪異の発生理由が大奥らしい情欲や権利争いなのだが、それらは独特の演出でうまく誤魔化されている感じで重苦しくない。出てくる人間の感情は重たいが、今回は思い切りのいい女が出てくるのでその生き様への気持ちよさがあった。総じて、前作である唐傘よりもサバサバしていた気がする。また、前作よりはだいぶわかりやすい。特に怪異の発端になった女性の感情に対して「こういう感情だったのか」と同じ境遇の女性が代弁するシーンがあったのに驚いた。前作がわかりにくいと言われたのだろうか。

怪異は怪異の発生理由や正体などを知らねば倒せないので、それと追っていくドキドキもある。大奥ならではの事情を絡めながら徐々に怪異の真相に迫っていき、最終的に切り伏せて幕、という大衆演劇のようなまとまりとカタルシスがある。しかし怪異は明確な悪というよりは感情の行く末なのでそこは少し物悲しくもあり、しかしその感情に触れた人間が強く生きていくというのも未来があって良い。

 

内容は大奥で天子に見初められた女が身籠るというものだが、血筋に長人の血が混じるのを嫌った(権力バランスが崩れるのを嫌った)勢力がその女に毒を盛る。しかしその実行役が次々と謎の焼死をしてしまう。その原因が『火鼠』にあることは早いうちから薬屋が突き止めるのだが、火鼠が発生した原因がわからない。一方で門番の男は昔言葉を交わした女性を思い出しており……といった感じ。

火鼠が発生した理由は、過去に天子の子を身籠ったがその子を流せと迫られ自ら毒を飲んだ女の感情だった。ちなみに先述した(現在)天子の子を身籠った女は物語の後半で父親から流産する毒を飲むように頼まれる、つまり過去の女と似たような境遇になるのだが、過去の女とは違った結末を女は選ぶ。そして事件の当事者の気持ちを理解した女性が「この事件の根幹は怨嗟ではなく、自責の心」だと突き止め、薬屋は正体を突き止めた怪異を倒す。火鼠は自らを苛み、その身を燃やし続けてきた想いから発生していたのだ。

権力争いでゴタゴタと抜かす男共に「お前らが死んでも代わりはいる。大切なのは次の世代(意訳)」と言い切った女がよかった。母は、女は強い。前作といい、大奥に生きる女の強さや逞しさが描かれていてよかった。身籠った女性と意見が反する女性もいるのだが、最終的には心を通わせた節があり、女特有の連帯感というか、戦友感があったのもよかった。(体感なのだが、女は『女という属性が被る被害』に対して抵抗するときに独特の結束感がある)

 

唐傘が「一部の解釈は観た人が決める」感じの話だったのに対して、こちらは「こういうことです」という話な気がする。

あと唐傘は『匂いを視覚的に表現する』のが特徴的だったが、今回は火の表現がよかった。物語のラストでは花火があがるのだが、その表現も良い。モノノ怪の見どころの一つは独特かつ鮮烈な映像美だろう。

前作も今作も(モノノ怪の原作であるアニメも)人間関係と性的な要素のドロドロはあれどエンタメ的な表現が強いので決めシーンやクライマックスは非常に盛り上がる。薬屋が使う仕事道具のデザインも、見たことがないデザインなのに用途がわかる秀逸なものだ。薬屋が抜刀するときのセリフのようないわゆる『お約束』もあり、これがくると否が応でもテンションが上がる。ストーリーだけ聞くとシンプルな愛憎劇だが、これは実際に観て映像と音楽と共に味わうのがいい。

一応人間関係から物語が縺れてくるので、前作を知っていると登場人物がわかりやすいというのもあるのだが、別に今作から見ても十分に理解できると思う。私は前作をかなり忘れていたが問題なかった。

 

ちなみに前作の唐傘には火気を嫌っているという話があり、今回の火鼠とそのあたりが絡むのかと思ったらあまり関係がなかった。いや、あったのかもしれないが、わからなかった。まぁそこはさしたる物語の要素ではないだろう。唐傘は考察し甲斐があったが、火鼠は作中で原因が明言されていることもありシンプルに楽しめた。

 

女の強さに心を打たれつつ、独特で鮮烈な映像と音楽と味わう体験としても良い映画だった。無駄に長くないのも私としては好ましい。いい映画だった。三部作なので、次回も楽しみだ。

舞台『デストルドー9 絶望と希望の9日間』を観ました。

※ビンタの話がしたくてストーリーをほぼ書いています。ネタバレ解禁済みの舞台と聞いていますが、問題がある場合は教えていただけると助かります。お手数おかけいたしますが、よろしくお願いします。

あと内容は書きましたが、そこに至るまでの感情や演技が凄まじい舞台なので、可能であれば観てから読むか、読んだ後に観ることをオススメします。観る手段はほぼないのですが……。

 

 

友人のイチオシ舞台である『デストルドー9 絶望と希望の9日間』を観た。友人の好きな俳優(本業は声優)が名演をするとのことで、その声優を知っている私も気になっていた。ちなみにその声優……汐谷さんが出るという以外はあまり情報を敢えて入れなかった。キービジュアル……ではなく汐谷さんがインスタにあげていた写真くらいしか情報がなかった。私が観た写真は正装と学生服のようなものだったので、現在日本の学園ものかと思っていた。

蓋を開けてみたら学園ものだった。学園ものだったんだけど学園ものじゃなかった。先に行っておくが、間違って理解しているところがあるかもしれない。私は三時間の舞台は一回観ただけじゃわからないので……。

 

物語は一応学園ではある。学園には様々な地域から若い男子学生が集められ、優秀なクラスと落ちこぼれクラスに分けられる。そこで学園生活をするのだが、彼らが学ぶように命じられるのは、少女の姿をした「ガラテア」と呼ばれる兵器の操作方法だった。

それぞれのクラスは9人で編成され、彼らはピグマリオンと呼ばれる。彼らは一人一人がガラテアの各部位を担当する。目の担当、右手の担当などだ。操作は思念で行う。だから区分としては学園ファンタジーだろうか。エスパーやサイコキネシスの類だろうか。エヴァとかよくわかんないけどそんな感じ? もっとも各担当がそれぞれを動かすわけではなく、その9人の中にはガラテアを操作する立場の人間(脳の担当)であるエンケパロスという存在がいて、エンケパロスがガラテアを操作する。残りの人間は……道連れのようなものかもしれない。エンケパロスが力を使うと頭痛に苛まれる描写があったり、エンケパロスはピグマリオンの過去が視えるので過去がバレたりとロクなことがないという印象だ。ちなみにエンケパロスの他に、心臓・心を担当するカルディアというポジションもいる。主要人物はエンケパロスとカルディアだ。

この二つのクラスは担当である「先生」に命じられ、ガラテアを操作してクラス同士で戦う。が、演習で気絶した落ちこぼれクラスが目を覚ますと様子がおかしい。エリートクラスが命を狙ってくるし、施設は様子がおかしい。逃げ延びたクラスに合流した先生は「戦って死ぬか、自殺するか、相手を殺したうえで寿命を待って死ぬか」という三択を迫ってくる。

ここまで書いてまだ半分くらいの、とてもボリュームのある舞台だ。もちろんここにくるまでに、少年たちの戸惑い、焦り、恐怖、慟哭、痛みによる悲鳴、などをたっぷりと浴びているため疲労がすごかった。熱量が半端じゃない。少年の持つ可能性やパワーが全てマイナスに変換されて閉鎖された空間で膨張している。

簡潔にいうと、命を狙われるくだりは最初の演習から10年経っている。クラスの生徒たちは10年眠っていたのだ。なら、なぜ老いていないのか。それはガラテアと繋がったからだ。ガラテアとはなにか。それはデストルドーという存在から生み出されたものだ。デストルドーとはなにか。それは感染ウイルスを撒く蝶だ。(このあたりの理解がふわふわなのだが、ようはデストルドーによって世界は滅ぶ)先述ウイルスは人間のオスを狂わせ、殺人衝動を与える。なのでデストルドーを止めないと人類に未来はない。なお、デストルドーはガラテアでしか傷つけることができない。

なら、なら、と書いていると気がつくのだが、デストルドーは後半から畳み掛けるように情報が出てくる。早い話、落ちこぼれクラスが生きているとデストルドーは倒せない。なのでエリートクラスは落ちこぼれたちを殺すことを決める。彼らの意思に関係なく、片方は世界の希望に、片方は世界の敵となってしまった。

 

と、ここまで書くと壮大なSFなのだが、この不条理に巻き込まれていく少年たち一人一人の感情や落ちこぼれたちのバックボーンがしっかりと描かれていて、感情移入というか、ままならなさに情緒がめちゃくちゃになってしまう。特にエリートクラスのカルディアの少年(これが先述した汐谷さんだ)の変化がすごい。彼は命を奪うことへの躊躇いから、大切な友人を失ってしまう。そこからは正しくあろう、正しくあろうと落ちこぼれたちを殺すことを決めるのだが、その変化、特に声の演技がすごい。純朴な友達想いの少年は引き返せないバケモノになってしまう。

その変化を起こしたのはエリートクラスのエンケパロスだ。ちなみに彼はデストルドーをどうにかしようとしていて、そのためデストルドーが眠っている(手出しできない)と都合が悪い。ガラテアはカルディア、つまり心臓の影響を如実に受けるので、カルディアが揺らぐと不都合なのだ。だから友人を失ったカルディアに「正しい行動をしよう、世界の希望になろう」と吹き込んでいく。

しかし、このエンケパロスの少年も本心では落ちこぼれたちの殺害を望んではいない。落ちこぼれクラスには大切な弟もいるのだ。弟は必死に兄に訴え、兄は殺さずに済む方法がないのかと考えようとするのだが。

 

そのエンケパロスを、カルディアの少年がビンタする。

ここ本当に息が止まった。「いいんだよ。俺たちは間違っていない」と言って……ビンタ……。

 

カルディアの少年はもう引き返せない。だからエンケパロスが意見を変えることも許さない。だからこそのビンタ。この、壊れてしまった人間が整合性を取る時の行動が大好きで……整合性を取ろうとしておかしくなった、おかしなことをする人間が私は大好きなので、ここが見れただけでもすごい価値のある舞台だ。内容的にカタルシスを感じる舞台じゃないんだけど、私はここでテンションが一気に上がった。

 

彼は自らの力で友人だった、もうひとりの落ちこぼれカルディアを殺害する。繋がっている落ちこぼれクラスの少年たちは、弟は死ぬ。そして残されたエリートクラスが人類の希望となり、デストルドーに立ち向かう……。

 

ここで終わった!!え!?マジで……?マジか……そっか……。

 

ここで終わるからこそ、少年は正義にも悪にもなれない。結果が伴わないから、誰もその感情が選んだ結論を正しいと言ってくれない。生きて笑うことのできるヒーローになることも、死んで犠牲の英雄になることも許されない。この宙ぶらりん感、そして結末が描かれないことによるエリートカルディアの覚悟の行く末のなさが本当に無情で……。すごい舞台だったね、と友人に言ったら「まぁこのあとみんな死ぬんだけど……」と言われて頭を抱えてしまった。辛すぎる。

内容もさることながら、この不条理に巻き込まれていく罪のない少年たちの感情がすごい。ここ最近見た中で一番(いい意味で)疲れた舞台だ。それぞれに感情があり、当たり前に「生きたい」という根底の願望がある。それが脅かされた時の彼らの慟哭が本当にすごくて……あと単純にガラテアを操作した時にかかる負荷であげる悲鳴もすごいし……脚本家の人めちゃくちゃいい趣味してんな、と思った。

そしてこんなに情報量がある舞台なのだが、情報の出し方が上手いのですんなり観られる。長尺の説明になりそうなところも上手いこと処理しているし、専門用語へのフォローもある。9人もいる学生たちが覚えられるか心配だったのだが(名前は全然覚えられなかったが)彼らは白い衣装を纏っており、そこには担当部位に差し色があるため舞台上でそれぞれを見失ったり、混ざってしまったりしない。服がバラバラであることよりも統一感が出ているし(白さが少年たちの可能性の象徴のようだ)舞台作りが上手い……。情報量は多いが内容をざっくりと追えば理解は難しくないし、そもそも大切なのはその下地に少年たちの感情がどうのるか、というところだと思う。だからちょっと難しいところは多少飛ばしてもOKなんじゃないかと思う。

 

舞台構成もいいし、場面転換も混乱しないし、(嫌な奴はいるが)嫌悪感で気分が悪くなるような人物はいなかったし、説教っぽくないし、ちょっと過度に酔っているな……という感じもないし、演技が下手な人もいないので(どの人のセリフも聞き取りやすかったのが本当にありがたかった)クオリティという面では快適に観ることができる。内容はかなり苛烈なのでメンタルはやられるのだが……。少年たちは個性的で、前述の通りバックボーンも明かされるので全員に愛着が生まれる。みんないい子だから余計に……だからこそ辛いんだけど……。ストーリーもボーイミーツボーイからの、強制的に押し付けられる世界の敵と正義のヒーローという敵対構造、そして諸悪の根源が人ではなく感情がない、災害としか言えないというのがなんとも……せめて大元のデストルドーに意思があって、憎めれば何か変わったのだろうか……。

辛い結末ではあるけれど、非常にいい舞台だった。もうDVDを手に入れる手段がなさそうなので観ることは困難だろうが、もし観る機会に恵まれたなら観ることをおすすめする。非常によい舞台だった。

ちなみにこれは再演で、初演は「希望」と「絶望」で結末が変わっていたらしい。スピンオフやパラレルワールドもあるらしく、かなり様々に展開しているようだ。気になる。

 

初演では別れていた「希望」と「絶望」が再演ではひとまとめになっている理由なども気になる。友人に聞いたらわかるのだろうか。自分でも考えてみたいのだが、そもそもこの物語における希望・絶望とは……。ひとまとめであるからには表裏一体なのだろうか。それとも誰かにとっての希望で、誰かにとっての絶望なのだろうか。エリートクラスのカルディアとエンケパロスのことだったりしてね。カルディアは友人を失った絶望の中にいるが、やがて人類の希望の心臓となる。エンケパロスはデストルドーへ至る刃を研いで人類の希望としての道を繋いだ。しかしその道は弟の死によって絶望に染まってしまった。両者ともに、絶望と希望を抱えていると言えるのではないか。

ただ、私はわりとエリートのカルディアとエンケパロスを主役に考えているけれど、落ちこぼれのほうが主人公っぽいんだよな。世界の主人公は希望であるエリートたちなんだけどさ。エリートと落ちこぼれは対比構造なのかもしれないけれど、こんな感じで視点によって属性が反転するのがよかった。なんかね、脚本がわりと落ちこぼれを主人公に見せようと書かれている気がするんだよな……。そんな落ちこぼれたちが覚悟の決まったエリートカルディアにあっさり殺されてしまうのがいいんだけど良くないよ。ただ、エリートたちって所謂良い子ちゃんだから没個性ですよって表現なのかもしれないけど。

 

 

 

最後に、観てないとわからない好きポイントとまとまらない悲鳴をあげて〆とする。

『覚醒先生の声色』『先生の自殺』『先生の殺害』『先生を殺害するときの「先生はいらない。僕たちは必要」という思想。でもそう思わないと、自分が生き残っていることが耐えきれないのかな……』『体を操って友人を殺させる(こうやって作り上げたバケモノに食われる)』『ビンタ(正直一番最高だった)』『わりとよくない唯』『覚悟を決めた時のラスボス感がすごい頼』『自分の作った怪物に食われる幾美』『友人は頼くんをわりと他責思考だと言っていたが、私はそうは思わなかった。でも「頼」って漢字に「(責任などを)転嫁する」って書いてあるサイトがあって嫌になった。→全員の名前の漢字調べるの怖くて調べてない』『人生やり直したい願望が蛹感あって、そこでクラスに連帯感生まれてるのいい』『本当に責任の所在をハッキリさせて感情をぶつけたいときに限って理由は明かされない。理由なんてないのかも』『覚醒頼くん最高』『汐谷、頭がまんまるで良い』『人の心のなさがTRUMPシリーズのオタクである私に正直ベストマッチ』『デストルドータナトス=死への衝動。嫌すぎ』『この舞台への「嫌すぎ」は全部褒め言葉』『頼はあくまで「友達」のまま唯を殺したと思うんだよね』『脚本の人、絶対にふみよしによくない感情がある。北村のオタクか?』『もっと思ったことたくさんあるのに言葉にならない』『三度の飯より君が好き!←そんなお前が好きだよ』『要くん嫌いなオタクおらん』『小田切のツラが良すぎる』『いま思うと守野って「さよなら絶望先生」とも言えるな。と一人でウケている。なんもオモロくない』『暴力を「与える」側になってる頼~!ビンタ最高』『暴力を与えるということが明確な力関係であることを教師を使い示している。あのくだりはそういうことなのか?ビンタのスパイスだったのかも。味が濃いわ』

 

なんか思いついたら追記します。それほどまでに、まだまだ考えられそうないい舞台でした。